#five

Konsen Creation Network

歴史・文化

scroll

知られざる偉大な開拓の歴史。

 そこに人あれば歴史あり。縄文時代から続く数千年の記憶、森を開拓し入植してきた街の過去。オホーツク文化や文明開化が入り混じり、独特の文化・発展をしてきた根釧地域。大地みらい信用金庫、大地みらい基金が発行する「ふるさとポケットガイドブック」より、この土地に根付く歴史や魅力をご紹介。
ふるさとポケットガイドブック
根室 金刀比羅神社

根室 金刀比羅神社

 1806年(文化3)、北方漁業開発の祖・高田屋嘉兵衛が、漁業の守護神として金刀比羅大神をお祀りしたのが始まり。根室地方の開拓が進むとともに氏神として深い信仰を集めるようになり、現在も家内安全、子孫一長久、漁業、殖産・商業の守護神として崇敬を集めています。
根室 金刀比羅神社
上武佐ハリストス正教会

上武佐ハリストス正教会

 根室中標津空港から北東へ、車でおよそ10分、徐々に深さを増す緑の中に市街地の名残をみつけたらハリストス正教会はすぐ近くです。大正5年(1916)にともされた祈りの灯と共に日本最初の聖像画家・山下りん作のイコン(聖像画)を守り続ける、美術愛好家にも名を知られる教会です。
上武佐ハリストス正教会
東北海道の古都、あっけし

東北海道の古都、あっけし

 江戸末期まで地図に記されることもなかった蝦夷地・北海道。“日本” の枠組みに取り込まれてもなお刻まれた独自の歴史、「あっけし」はその重要な舞台の一つでした。明治期の繁栄を経て、つくられたのは、海と大地、まちの2つの表情。「あっけし」に数多く開かれた神社仏閣はその営みを静かに見つめてきました。
東北海道の古都、あっけし
標茶 釧路集治監

標茶 釧路集治監

 明治期から始まり、国家の近代化と共に進められた北海道の開拓。 屯田兵や移住民が、進取、不屈の精神で新天地におろした鍬の跡が年月をかけて、北海道らしい風景、産業、文化を創造してきました。 でも、そのフロンティアスピリットの前にあったものをご存じでしょうか。やがてやってくる入植者のために、命を危険にさらし、むき出しの野生と対峙して原始林を切りひらいたのは 「ここに来たら2度と生きては帰れない」と恐れられた監獄の囚徒たち。 ふだんは表舞台に出ることのない、もうひとつの開拓史に光をあててみましょう。
標茶 釧路集治監
伊能忠敬の蝦夷地測量野付半島幻の街キラク

伊能忠敬の蝦夷地測量
野付半島幻の街キラク

 別海町本別海、西別川河口近くに立つ木柱。 ここは初めて正確な日本地図をつくった 伊能忠敬の蝦夷地測量最終到達地点です。 江戸からの過酷な道のりを支えた原動力は何だったのか、 なぜここが最北・最東の地点となったのか、 江戸後期のレジェンドの足跡を追います。 そして同じ頃、野付半島に存在したと伝わる幻の街・キラク。ロマンに満ちた2つのストーリー、 想像力を解き放ってお楽しみください。
伊能忠敬の蝦夷地測量野付半島幻の街キラク
前田正名と釧路の製紙業

前田正名と釧路の製紙業

 明治期、政府が「富国強兵」をスローガンに欧米列強と並ぶ国家づくりを急ぐ中、その危うさを指摘、政府と対立し自らのキャリアを捨てても、 地方産業に立脚した豊かな国づくりを説いて回ったひとりの薩摩男児がいました。 近代史上脚光を浴びることは少ない隠れた偉人、前田正名。紙のまち・くしろを誕生させ、阿寒の自然保護を後世に約束させたその哲学は、いま、時を超えて共感を呼んでいます。
前田正名と釧路の製紙業
北海の狩人 オホーツク文化

北海の狩人 オホーツク文化

 スケールの大きな自然で知られる根釧台地は、その地理的条件、歴史的役割ゆえに独特の文化、情緒をはぐくんできました。歴史、伝統、そして人情も、実に味わい深い土地柄です。この魅力を各所を巡りながら、力強く生きる人々の営み、思いに触れていただくためのガイドブックです。
北海の狩人 オホーツク文化
©一般財団法人大地みらい基金